ミスト | この映画に腹がHELL
No.003 ミスト
◆◆◆◆
果たして、彼らはなぜに襲ってきたのだろうか?
やはり、お腹が空いていたのだろうか?ここにたどり着くまでに、ご飯は食べていなかったのだろうか?初っ端から食欲全開な映画である。
お腹が減ると機嫌が悪くなるのは、人間だけではなく動物一般に言えることだ。それは、どんな生物においても共通していることなのだろう。たとえ見たこともないような生物であっても。
ただ、好物は何かについては、議論が生じるべきところだ。人間が好物なのか?腹を満たせれば、なんでも良かったのだろうか。美味しいかなんかは、食べて見ないとわからないものである。食わず嫌いなんてこともあることだし。ちょっと秘境へ探検に行って、現地で食べた昆虫食が意外と美味しくいただけたり、臭いで敬遠してきたドリアンの美味さにハマって抜け出せなくなったり。採算度外視のガリガリ君の珍味シリーズ。まぁ、いずれ彼らにとっては地球の人たちは絶好の食料だったのだろう。彼らの見た目から想像するに、野菜(植物)も食べそな感じなんだけどね。
仮に、あれだけの生物が地球(アメリカの一部だけど)に侵略したとして、人間を頂点とする食物連鎖のピラミッド、その全てでその腹がみたせることは疑わしい。いずれ食料は絶え、共食いに発展、奴らは餓死するのは目に見えている。そういった結果が見えていれば、そこまで怯える必要はないのだけれど、そこは人間。色々と想像を巡らし、自ら自滅への道を突き進んでゆく。
ここで道は外れるが、ウォーキングデッドのキャロルこと、メリッサ・マクブライドが出演している。そして、やっぱり自分の子供のことでなんだか大変なことになっている。いや、もしかしたら、これを見たウォーキングデッドの製作者の誰かが、ウォーキングデッドの配役・シナリオへと道を見つけて進んだのかもしれない。
この原作を読んだことはないし、多分、今後も読む機会はないだろう。しかし、最後のオチはやっぱり好きだ。このオチがあるかないかで、この映画の評価もだいぶ違うのだろう。実際、初見ではかなり後味が良くなかったように記憶している。この映画を参考に、今度大事に遭遇した際には、霧が晴れるまで待つという選択肢も考えてみようと思う。
自分のシナリオは、ハッピーエンドで終われるように。
2018年のインターネット
STUDIOVOICE Vol.238を買った。
特集は「Electronic nomads エレクトリニック・ノマド」
Internet Alternative-インターネット、もう一つの可能性-だった。
その特集記事の中で、山形浩生さんが書かれた記事、
「インンターネットの中年か-WIREDが拓いた地平の向こう側-」という記事を読んで考えた。
***
略〜
もし過去の例としてアマチュア無線が参考になるなら、インターネットの状況は次のようになるだろう。いったん接続した、あるいはホームページまでつくったはいいけれど、電子メールをやりとりする相手もなく、特に「これは!」というサイトにも出会えず、また自分のページを見に来る人も数えるほどで、だんだん情熱を失ってアクセスをやめてしまう人々の群。更新されることもなく、ディスク領域を占有するだけの、無数の死んだページの山。
一部のマニア同士の閉鎖的な世界。ホームページも続々と淘汰され、大半のユーザは(今もそうだが)自分のページづくりへの情熱を失って ROM(=Read Only Member)に徹する。インンターネットは双方向コミュニケーションの云々と言われるが、そんなのはウソだ。特にWebにはあてはまらない。これは大阪大学の菊地誠の指摘だが、慧眼である。Webはほどんどが単方向の情報提供であり、双方向コミュニケーションは一部の書き込み可能掲示板(これは楽しいよ)などでかろうじて成立するのみ。更新し続ける資本力とインセンティブをもった企業や団体のホームページだけが生き残る。
一方で、いうつかの非常に優れたサイトはいずれ有料化に向かうだろう。オンラインショップや取引のようなものも、まあそこそこ登場する。決済方法はクレジットカード。デジタルキャッシュだのe-キャッシュだのは、何の力も持たない。しょせん代用貨幣のままごとだもの。金は現実の世界の価値とリンクして始めて意味を持つのだ。そこらへん苦労はしているようではあるが。「何を買ったか知られたくない」?天地知る地知る我知る云々。晴れるとやばいような代物を、ネットワーク上で派手に取引できると思っているのかね。そういう商品が経済の主流を占める状況は絶対にない。クレジットカードで何ら問題はない。だいたいデジタルキャッシュなんかが本気で出回って、価値が国境をドカドカ往来するようになったら、世界の金融システムは崩壊する。そんな危険がちょっとでも見えたら、国家は一致団結して即座にインターネットをつぶす。
〜略
***
引用:STUDIOVOICE Vol.238より
1995年に刊行された雑誌だから、約20年前である。あれから、アマゾンやグーグルが出来て、eショップも当時とは様変わりした。ただ、インターネットの根本的問題はあまり変わっていないように感じる。現代までにSNSが普及したが、問題も多々起こっているし、SNS自体は、先の記事のように双方向コミュニケーションの云々というよりは、やっぱりまだ単方向の情報提供であり、安易ないいね!で一喜一憂している。みんな本当に中身をみていいね!しているのだろうか?みんなが押してるから、押している人がほとんどなのではないだろうか?押すだけなら、簡単だし。まぁ人が何を思って押しているのかはその人しか知らない事実なので、そっと戸棚にしまっておくことにする。
インターネットが手のひらサイズで扱えるようになったが、インターネットが登場したことによって世界や生活が劇的な変化を遂げたかというと、それは変わっていないように思う。根本的には。
昔からあるものの代用品。インターネットの普及によって便利にはなったが、情報がを速く手に入れらること自体は、新聞やテレビと基本的には変わらないし、そこまで情報を速く手にいれること自体の意義があまりはっきりしない。災害時や有事ならいざ知らず。口伝でも十分な情報しかない。
ネットを通じて越境することができても、依然言葉の壁があるし、文化的な違いがある。前記事の一部のマニア同士の閉鎖的な世界。の人たちだけのやりとりであれば、それは面白いものになるしビジネスにも活かせる(ようは道具の使いよう)かもだけど、ほとんどの場合は、広がりはない。
攻殻機動隊の世界のように電脳化が進み、ほんやくコンニャク並みの万能な翻訳アプリをインストールできれば、垣根を超えて、それはすごい広がりが生まれるかもしれないけど、まだまだ遠い未来のような気がする。
結局は、昔からあるものの代用品でしかないし、便利になった道具レベルでしかない。なくてもいいもの。基本的な人間の生き方(生活ではなく)は変わっていない。どこでもドアには遠く及ばない。
さて、人間が発明?した中での大発明は、何だろうか?よく言われている、「火」「電気」が今の所一番しっくりくるような気がする。あとは、人にもよるだろうが「神」がある。画期的で代用が効かず、人の生活になくてはならない。まぁ、「火」があれば「電気」はいらない気もするけど。「火」も元々自然のものだし、それを道具として使ったことが発明といえば発明。「神」もまぁ、その前に「言葉」を発明した?ということも考えられるけど、必要に迫られて使われ出したものだし、それによって壁も作っているわけだし。ねっ。どうなんだろう?
インターネットは、この先20年、どう変わってゆくのか?いや、やっぱり、今、つまりは20年前と変わらずに、その20年前の記事を引っ張り出して、同じ問題を、同じように繰り返しているのだろうか。
そうではないことを願って、明日の朝を迎えることにしよう。
『マシニスト | この映画に腹がHELL』
No.002 マシニスト
◆◆◆◆
ガリガリでどうしようもない機械工のトレバーは、劇中で一回だけ食事をとった。チキンらしきものを両手で持ってムシャムシャとかぶりつく。冷蔵庫から溢れる静脈血。あれ、これはもしかして入肉じゃないか?な〜んてちょっと思考変換も可能。もう、ガリガリすぎて、風呂場でおどけている姿が蛹から羽化した蝉のようで、もう短い命なんですね。
感心なことに、彼はよく手を洗う。ラスカルだってそんなに洗いますかって位に洗います。石鹸じゃ生温い!漂白剤じゃ!ブリーチをありったけ持ってこーい!おかげで、指紋鑑定なんてできるのか?って勘ぐる始末。映画観賞のあとは、ブリーチで手をよく洗いましょう。
そして、彼は眠らない。山猫ですか?いえ、彼はスナイパーではありません。機械工です。それじゃなんで眠れないのか?私が思うに、お腹が減っているからですよね。お腹減りすぎると、本当に眠れないんですね。お腹いっぱいの時なんかは、5秒で眠れるのに。だから、食べればいいのに、せっかく大きい魚を釣ったのに。モッタイナイ。まぁ、彼は眠ったら死にそうだけども。永遠に。そういった意味もあるのかな。
激痩せと寝不足で、だんだんと思考がおかしくなっていくトレバー。慢性的な寝不足は思考を鈍らせます。
人間、生きている限りは、きちんと食事をとって、しっかり寝ましょう。そう問いかけている映画なのではないだろうか?
引用元:wired.jp
そして、最も注意すべき点は、車の事故。運転はモチロン、道を渡るときは、きちんと確認した上で渡らないと、それこそ死へ一直線。眠らずに運転するなんて、もってのほか。眠いときはパーキングなどで、仮眠をとって、頭が冴えた状態で、道交法を守って運転しましょう。
そうしないと、ガリガリに痩せて、思考がおかしくなって、最終的には永遠に眠り続くけることになるかもしれません。
彼のように。
『朝食、昼食、そして夕食 | この映画に腹がHELL』
No.001 朝食、昼食、そして夕食{邦題}
エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつサンティアゴ・デ・コンポステーラを舞台にスペインの日常にある風景を朝食、昼食、夕食の一日3食を通して切り取り繋いでいる人間ドラマ。
◆◆◆◆
◆◆◆◆
スペインの朝昼晩と三食のご飯がのぞける映画。
スペインの地元食のことは、スペインに行ったことがないので、良くは分からないが、日本でいうとことろの納豆に焼き魚、味噌汁に炊きたての白米みたいな定番メニューなのだろうか?知らないけど。
日本でも、地方によって食事事情が違うようにスペインの中でも、バレンシアなんかとはまた別なのだろう。
それぞれの食事を出てくるキャラクターのストーリーに沿って観せていく。その出てくるキャラクター同士の繋がりも面白い映画。ただ単に食事を見せたいのではなくて、キャラクターそれぞれの事情があって、それに沿ってこんな食事をしているのだろうと観せている映画。
すごい美味しそうな豪勢な料理が出てくるわけでもなく。スペインの方から観れば、食事よりは、ヒューマンドラマがメインなのかもしれない。
日本人としての感覚では、小津安二郎監督作品に近いのかもしれない。
さすがだなと思うのは、食材のフレッシュさ。オレンジジュースは、パックに入ったものをコップにジャーッってのではなく、きちんと果実から絞って作っているし、ハムやソーセージなんかもスーパーでパック入りではなく、精肉店で加工した自慢の一品?を買っているし。それもあってのことで、より美味しそうに思えたりもするんだね。
日本では、商店街がきちっと機能しているところではない限り、食材を専門店から買うのって難しいし。果たしてスーパーで買った寿司は、美味しいのだろうか?どうだろう?日本人は、食に乏しくなっていっているのかもしれない。
食事は色々出てきて、それぞれ、本当に美味しそうで、いい映画なのだけど、一番良かったのは、おじいさんとおばあさんが何も言わずにご飯を食べているシーンが良かった。
そのシーンに関しては、特にストーリー展開があるわけではないと思うのだけど、あまり清潔な感じのしない少し汚れた感じの食器で二人黙々と食べるシーンが良かった。あっ、デザートも食べるんですねって。
結局、彼らの人生が全て上手くいくわけではないのだけど、そういうドラマって食事の中で生まれて消えていくという映画なのかもしれない。
そして、最後のシーン。
ミステリーやサスペンス好きの人は、ちょっとニヤッとしてしまう、何か含みをもたせたラストシーンで、この映画は終わる。
『芳年展-練馬区立美術館-へ行く』
練馬区立美術館で「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」が絶賛開催中なので行ってみる。
前回記述の
で楽しみにしていた芳年略画が見れるかなと思ったのだが、会場内で
もらえる目録によると1点のみ”応挙の幽霊/雪舟活画”が今回展示があるらしいのだが、
なんと後期だけだった。
うん、二回目(後期)に来てね。ということか。こんちくしょう。
楽しみにしていたのに。
それでも、素晴らしい作品が色々と観れるので涎を垂らしながら、向かった。
向かう途中、自転車を駐車中のお姉さんが2台の自転車を派手に倒していたので、
そっと手助けをした。今日は風が強かったので倒れやすいのだろうと思いつつ。
(台風が19号と20号ダブルで近づいていた)
「ありがとうございます」
「いえ」
自分で言うのもなんだが、いつもながら気の無い返事である。
しかし、笑顔では答えた。
平日の昼過ぎにしては、そこそこに人がいる。冒頭の看板も最初カメラに収めようとしたのだが、お姉さんが撮っていたので後にした。
それにしても、今日は暑い。昨日までそこそこ過ごせる気温だったのだが、
今日は暑い。なので、館内に座って少し休んだ。他で開催中のいろんなチラシがあるので、少し物色する。ミケランジェロ展も行きたいなぁ。
ピエール・ボナール展もあるのか、そういえばジョジョ展もあったっけ。
むふ〜ん。
東京都写真美術館の”愛について アジアン・コンテンポラリー”は感覚的に面白そうだと思った。中国・香港・台湾・韓国・日本、とかこの後どう変わっていくのか、文化や景観もアメリカナイズされていくのか、そういえば飲屋街とか横丁も少しずつ無くなっていっているとかで、ツイッターでも誰かが存続を呼びかけていた。なんだか残念だ。どんどんと平面化されていっているようで。あのなんかゴチャッてしてるのが好きなんだけどな。ゲロとか汚物とか危険な匂いが満載で。
やっぱり大規模な展示会より落ち着いていていい。まぁでも人はいるけど。練馬区立美術館でいいところは、作品にギリギリまで近寄って鑑賞できるところ。大体のところは柵があったり、ケースに収まっていたりするのだけど、額に入って壁掛け状態なので近くで見やすい。から摺りが良くわかる。
([浮世絵技法用語説明](http://www.tt.rim.or.jp/~haruto/ukiyoe/yougo/gihou.html))
現代の漫画の祖が浮世絵とよく言われているが、縦長の構図で物語を語っているのをみると、漫画のコマ割りと表現方法が同じなのが良くわかる。
動きを絵に閉じ込めると言うことは同じなのだけれど。西洋画にみられるようなカチッとしたポーズではなくて、やっぱり動いているのを切り取ってる感じに近いのかもしれない。写真に近いのかな。特にストーリー性のある浮世絵は。
ううん。いいね。和服の色使いの参考になる。時代的に江戸〜明治なので、きちんと生で日常的に着ている和服を見て描かれているから、作者の頭の中の想像ではないので、実益というか参考になる。
現代人が描くとどうしても洋服しか見ていないので、想像が入ってしまうけど。きちんと見れて、それを描けているのが羨ましい。
ファッションとかコーディネートの色使いの参考にもなる。
前半はやっぱり、師匠(国芳)の味が出ていて江戸の浮世絵だなという感じがする。
そして主線が太い。筆の留めが出ている。ぎゅっていう。
これも好きだけど、やっぱり明治に入った後に描かれたのが好き。
主線が細くなっている。
下書きも鉛筆に水彩で描かれていたりしているので、イラストに近くなっているのかもしれない。
それにしても、色が鮮やかに残っていてすごいなと思う。
保存状態がすごくいいのだろう。
No.134 全盛四季 冬 根津花やしき大松楼(蜘蛛のモチーフの着物がいい)
No.145〜152 芳年武者无類シリーズ(特に150)
No.169 平維茂戸隠山鬼女退治之図(水辺に本性がでる)
No.171 浪裡白跳張順黒旋風李逵江中戦図(蛸がいい)
No.209 新形三十六怪撰 老婆鬼腕を持去る図(生の版木がすごい)
No.240〜263 錦絵修身談 巻二(No.248のワァーってなってる子供が好き)
かなりのボリュームで疲れたけど、満足して会場出口へ。
最後に、第三展示室だったかに芳年と同じ時代を生きた
”小林清親”と”井上安治”の展示があった。
練馬区立美術館所蔵品だったので、図録に載ってないのが惜しい。
全国巡回展で同じ図録を扱っていることはコスト面ではいいかもしれないが、
こういう固有の所蔵品が載ってないのは、本当に惜しい。勿体無い。
モッタイナイお化け。
物販は、図録は持っていたので買わなかった。
Tシャツが2種類あったので、それも目当てで行ったのだけれど、
”タテロゴ 玉兎 孫悟空”はMサイズ売り切れ・・。いいね人気だね。
”おもい津々羅”はイラスト風にアレンジされていてなんか思ってたのと違ったのでスルーする。
この値段プラスいくらかで”衣”でTシャツを買おうかな
そして”タテロゴ 玉兎 孫悟空”はgraniphの実店舗にあったら買おうかな。
https://www.graniph.com/shop/t/t1676/
今度は、太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art
(http://www.ukiyoe-ota-muse.jp)での
”落合芳幾展”が半券で割引がお得に開催されているので、行ってみよう。
外は夕暮れどき、日差しはまだ暑かった。
少しふくよかな女性が美術館前の公園でゾウのオブジェの尻を叩いていた。
あぁ、夏なんだなと、ふと思った。
『思穴』
今日も続く、また暑日の半に。
その図書館は、とても居心地の良い図書館だったが、
右と左に座っている以前は自分だった不思議な生き物は、
事あるごとにキーボードのキーを叩いていた。
まるで、文字を打ち込んでいるかのように見えるように。
魚を捉えることに、この数日を費やしてきたのだが、
ようやくその手応えが感じられた矢先に、
漁業組合から通達がきた。
この大事な時に。
頭の中は、熱帯夜から一気に氷河期へと映る。
その通達の内容は、こうだ。
「貴殿の魚は、一見魚のようであるがそれは全くの危ない魚である。」
「よって、それを市場で推し量ることは、当分の間控えていただきたい。」
「1~12週間の休漁期間を取ること。」
あぁ、それは愛のごとく壊れやすく難解だ。
ただの「魚」を私は、皆に美味しく食べてもらいたかっただけなのだ。
もちろん、わかってくれている人たちもいる。
ただ、やはり世間はそれを許してはくれないのだろう。
夢から覚める。
これでまた二度目の目覚めになる。
魚はただ悠然と泳ぐ。何も思考を巡らせることをせずに。
賢き魚。
知の魚。
夕べの味はどうだっただろう。
終わりは、また始まりに夜へと誘う。
鳥が鳴くのは、平和への回帰。
グリム童話なコネクション。
話は裏の裏に真実を導く。
ただこの先をくれれば。
私はどんなに、どんなに、
いや、そのままを。
紫の煙が、太陽を輝かせる。
灰色の液体が語りかける。
1匹の魚と2匹の魚が。
『芳年略画』
「ものと人間の文化史74 蛸」をGoogle先生で画像検索したいたら、
月岡芳年 「芳年略画 帰国浦島」を偶然にも発見する。
正直、今回初めて見た。
ツイッターで桃太郎の浮世絵か、草子の挿絵かがTLにあり、
面白い絵だと思い、こういったおとぎ話の絵はどこにあるのか非常に興味が
あったので、かなりの勢いで目に引っ掛かった。
そして月岡芳年先生の筆なので、なおのこと、目からビームが出た
いや、鼻穴から手が出ているのではないかと言う位に引っ掛かった。
これは、桃太郎の絵(月岡芳年筆ではない)
「芳年略画」というものらしい。
(出典:Japaaanマガジン https://mag.japaaan.com/archives/28171)
「芳年略画 帰国浦島」
家の蔵書の「月岡芳年の世界」と
「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」
を見て見たが、残念ながら発見できなかった。
現在に至るまで、そう完全に見落としていたのだ。
失策である。
「月百姿」や「新形三十六怪撰」なども
かなり好きで太田記念美術館開催の折にも見に行った口だが、
芳年略画のお惚けた感じの絵は、愛らしいというかなんというか
やはりかなりの涎ものである。
欲しい。。
これらの作品群は、
芳年略画 – 国立国会図書館デジタルコレクション
(http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=芳年略画&viewRestricted=0)
で全二〇作品が閲覧できる。
どうやら、元は一まとまりに綴られているものではないようだ。
調べてみると、
「別冊太陽 月岡芳年 平凡社」「月岡芳年 血と怪奇の異才絵師 河出書房新社」
には、なんとそれぞれ数点記載があった。
「別冊太陽 月岡芳年 平凡社」の説明文によると、
中判四〇図が知られているということである。
山口県立萩美術館・浦上記念館には数点あるらしいのだが、
全部、つまりはコンプリートはどうしたら見られるのであろうか。
Amazonさん、出番です。ということで、
検索をかけると、Kindle版を発見。
「あづまにしきゑ 芳年略画」という題名で
Kindle 価格:¥108 にて販売されていた。
「これらは、国立国会図書館が所蔵し、インターネット上に公開している資料で、
著作権保護期間が満了したタイトルの画像データを、Kindle本として最適化し制作したものです。」
ということらしい。
このデータでは、デジタルコレクションと同じく全二〇作品。
うーむ、全四〇図が見たい、そして紙書が欲しい。
しかし、¥108というお求めやすい価格設定はとても良心的である。
さすがである。
やはりどうしても現物が見たいが、難しいのかもしれない。
近く、練馬区立美術館にて
「芳年ー激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」
が開催されるが、晩年のもののコレクション品の展示ということなので、
もしかしたら、今回の展示で「芳年略画」が拝められるかもしれない。
これは、行ってみる価値はありそうだ。
いや、「芳年略画」の展示がなくても当然のごとく行くつもりであったのだ。
『目黒のたこ』
目黒に蛸が由来のお寺があるので、行ってみた。
蛸薬師は全国にかなりあるらしく、
京都の浄瑠璃山林秀院永福寺、東京目黒の成就院が
有名どころで、他に
愛媛県に六つ、千葉県・神奈川県・福井県・兵庫県・大阪府・
岩手県・埼玉県・栃木県・静岡県にあり、
山形県酒田市のはその跡に記念碑が建っているというこだ。
(参考文献:ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版)
他に、高尾山の高尾山薬王院には、参道の「蛸杉」というものが
あるらしいのだが、一日がかりになりそうなので、
また日を改めて行くことにした。
目黒の街には正直あまり縁が無く、
「並河靖之七宝」展示の際に東京都庭園美術館へ行ったのと
目黒シネマに行った位しか覚えていない。
「並河靖之七宝」は私的にはかなり良い展示だった。
細やかに施された細工はいうものがなだが、
下絵の素晴らしさにとても感銘を受けた。
そして、現代の日本ではこれ程の芸術品(コレクター嗜好品ではあるが)
を再現することは難しいことであり、伝承も途切れていることから
良いものが無くなっていく寂しさがあった。
どうにか復活できないであろうか。
目黒駅を降りて「たこ薬師 成就院」へ向かう。
GoogleMapを見ながら向かったのだが、
結構な距離を歩いた。
まず、場所的に目黒川を挟んで向こう側にあるので、
名物ではないが名物的な坂を下っていく。
この坂は「権之助坂」という名称で、
由来はこうである。
権之助坂の由来
江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいという村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり引かれて行く。「権之助、なにか思い残すことはないか」と問われて、「自分の住んだ家が、ひと目見たい」と答える。
馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。父祖の家を離れる悲しみと、村人の明日からの窮状が権之助の心を去来したかも知れないが、それは表情には現わさなかった。
村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。
また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。
昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていた。この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、権之助が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいた。
日本の女性アイドルグループで、
乃木坂46や欅坂46など東京都に実在する坂道名を冠したグループがいるが、
権之助坂46はどうだろうか? 数ある名主の中からオーデョションを
勝ち抜いてきた名主の集団である。
さぞや村人に人気があるだろう。
GOZ46 1stシングル「いまが年貢のおさめDOKIっ!」発売である。
というくだらないことを考えながらだらだらと坂を下った。
坂にはアーケード商店街があり、名前もそのまま
「権之助坂商店街」飲食店が主に軒を連ねているが、
途中にあった古書店に妙に興味をそそられた。
が、今回の目的から道を外れてしまうので、泣く泣く坂を下る。
坂を下りきってから、しばらく歩くと目的地が見えてきた。
正直にいうと、坂を下りてからが迷い道であり、
ここはどこだろうと思いながら、Mapをみては立ち止まり
立ち止まってはMapをみて、ようやくたどり着いた。
当日は、雨が降ったり止んだりと不安定で、
そしてとても蒸し暑く頭が朦朧としながら歩いていたせいもある。
そしてなんだかんだとマーク地点に到着したが、
この日は門前に登りが立っておらず、危うく通り過ぎるところだった。
そして、蛸の登場であります。
まずは礼にならってお参りをする。
手水場(ちょうずば)の脇にはカエルがいた。
そういえば蛸のも蛙も虫偏である。
これはまた考えてみる価値がある。
ナムナム。
「お願いごと」は多数あるようで、
- 家内安全
- 当病平癒
- 無病息災
- 身体健全
- 心願成就
- 商売繁盛
- 立身出世
- 除災難
- 徐諸厄
- 良縁成就
- 子宝成就
- 安産成就
- 学業成就
- 交通安全 が見受けられた。
お札やお守りも多数取り揃えており、
中でも蛸の絵馬が目をひく。
蛸薬師の由来
慈覚大師が眼病平癒にために四〇歳の時、自ら薬師如来を刻み、入唐(八三八年)に際しても肌身放さず持っていた。唐で修学後、帰朝の折に暴風雨に遭ったが、この像を投じて祈り、無事筑紫の港に帰ることができたという。
その後、諸国巡礼に際して備前松浦に行った時に、海上が光り、以前海に投じた薬師様が蛸に乗って現れたという。
その後大師が目黒に来られてから疫病が流行した時に、松浦で拝んだ尊影を模して刻み、その小像を胎内仏としたのが
現在の薬師如来であるといわれている。
(出典:ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版)
(参考:たこ薬師成就院オフィシャルサイト http://www.jyoujyuin.jp/yurai.html)
上記のように「お願いごと」は多数あり、
蛸薬師の由来もいろいろある。
一つに、蛸薬師は眼病を治すといわれている。
蛸は危険を感じると黒い墨を吹きつけるが、墨で黒くなった海中でも見えるのは
眼がすぐれているからだということからきている。
一つに、蛸には吸盤があることから、吹出物や疣(イボ)を取り除くといわれている。
蛸を描いた絵馬を奉納し、蛸を食べてはならず、この本尊に祈願し、
一日二〇遍、薬師の真言を唱えること。
しかし、蛸を食べると再び疣が再生してくるという。
幕末のころ、山田忠三郎というものが目黒の蛸薬師に祈願し疣が治ったが、
半年後に再び蛸を食べたらまた疣が体中に出てびっくり、
再び蛸を断ったら、すっかり治ったという話もあるということである。
そして、一つに、福をすいよせていただける大変ありがたい薬師でもある。
絵馬を奉納されていた方も沢山いらっしゃった。
今回度々、出典文献に使わさせていただいている、
「ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版」には
蛸薬師の他、本命の蛸のことについて、民俗学や食、歴史など
本当に幅広く載っていて、参考書としても読み物としても大変に面白い本である。
お参りを終え、一通り挨拶を終え出ようと、
門に行くと、門の前にある岩にとても興味を惹かれた。
岩のことは、よくわからないが赤くて丸くいかにも蛸である。
いわれや言い伝えは特にないようだが、絶対に蛸関係であろう。
撫でると良いことがあるのかもしれない。タッコングに似ている。
そして並んで、赤い郵便ポストである。
多分、意味はない。
蛸は不思議な生き物として魅力的であり、
そしてとても美味しいのである。
特に吸盤のあたりの歯触りがコリコリとしていてなんともいえず。
蛸自体の旨味もあって、わさび醤油とあえて
いただけば、お酒が止まらない。
たこ焼きも美味しい。
かの三代目古今亭志ん朝は四〇年程の間、願掛けの為
大好物の鰻を断ち、癌でなくなる前に食べたいものを
聞かれたときも「鰻が食べたい」と語ったということであるが、
当分、いや、死ぬまで蛸断ちは無理である。
【東京都目黒区 たこ薬師成就院】
東京都目黒区下目黒3-11-11
TEL:03-3712-8942