臍からキノコが生えた日には

例えば人間、川に落ちればカエルの子。

2018年のインターネット

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STUDIOVOICE Vol.238を買った。

 特集は「Electronic nomads エレクトリニック・ノマド」
Internet Alternative-インターネット、もう一つの可能性-だった。

 その特集記事の中で、山形浩生さんが書かれた記事、
「インンターネットの中年か-WIREDが拓いた地平の向こう側-」という記事を読んで考えた。

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略〜
 もし過去の例としてアマチュア無線が参考になるなら、インターネットの状況は次のようになるだろう。いったん接続した、あるいはホームページまでつくったはいいけれど、電子メールをやりとりする相手もなく、特に「これは!」というサイトにも出会えず、また自分のページを見に来る人も数えるほどで、だんだん情熱を失ってアクセスをやめてしまう人々の群。更新されることもなく、ディスク領域を占有するだけの、無数の死んだページの山。
一部のマニア同士の閉鎖的な世界。ホームページも続々と淘汰され、大半のユーザは(今もそうだが)自分のページづくりへの情熱を失って ROM(=Read Only Member)に徹する。インンターネットは双方向コミュニケーションの云々と言われるが、そんなのはウソだ。特にWebにはあてはまらない。これは大阪大学の菊地誠の指摘だが、慧眼である。Webはほどんどが単方向の情報提供であり、双方向コミュニケーションは一部の書き込み可能掲示板(これは楽しいよ)などでかろうじて成立するのみ。更新し続ける資本力とインセンティブをもった企業や団体のホームページだけが生き残る。
 一方で、いうつかの非常に優れたサイトはいずれ有料化に向かうだろう。オンラインショップや取引のようなものも、まあそこそこ登場する。決済方法はクレジットカード。デジタルキャッシュだのe-キャッシュだのは、何の力も持たない。しょせん代用貨幣のままごとだもの。金は現実の世界の価値とリンクして始めて意味を持つのだ。そこらへん苦労はしているようではあるが。「何を買ったか知られたくない」?天地知る地知る我知る云々。晴れるとやばいような代物を、ネットワーク上で派手に取引できると思っているのかね。そういう商品が経済の主流を占める状況は絶対にない。クレジットカードで何ら問題はない。だいたいデジタルキャッシュなんかが本気で出回って、価値が国境をドカドカ往来するようになったら、世界の金融システムは崩壊する。そんな危険がちょっとでも見えたら、国家は一致団結して即座にインターネットをつぶす。
〜略 
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引用:STUDIOVOICE Vol.238より


 1995年に刊行された雑誌だから、約20年前である。あれから、アマゾンやグーグルが出来て、eショップも当時とは様変わりした。ただ、インターネットの根本的問題はあまり変わっていないように感じる。現代までにSNSが普及したが、問題も多々起こっているし、SNS自体は、先の記事のように双方向コミュニケーションの云々というよりは、やっぱりまだ単方向の情報提供であり、安易ないいね!で一喜一憂している。みんな本当に中身をみていいね!しているのだろうか?みんなが押してるから、押している人がほとんどなのではないだろうか?押すだけなら、簡単だし。まぁ人が何を思って押しているのかはその人しか知らない事実なので、そっと戸棚にしまっておくことにする。

 インターネットが手のひらサイズで扱えるようになったが、インターネットが登場したことによって世界や生活が劇的な変化を遂げたかというと、それは変わっていないように思う。根本的には。

 昔からあるものの代用品。インターネットの普及によって便利にはなったが、情報がを速く手に入れらること自体は、新聞やテレビと基本的には変わらないし、そこまで情報を速く手にいれること自体の意義があまりはっきりしない。災害時や有事ならいざ知らず。口伝でも十分な情報しかない。

 ネットを通じて越境することができても、依然言葉の壁があるし、文化的な違いがある。前記事の一部のマニア同士の閉鎖的な世界。の人たちだけのやりとりであれば、それは面白いものになるしビジネスにも活かせる(ようは道具の使いよう)かもだけど、ほとんどの場合は、広がりはない。

 攻殻機動隊の世界のように電脳化が進み、ほんやくコンニャク並みの万能な翻訳アプリをインストールできれば、垣根を超えて、それはすごい広がりが生まれるかもしれないけど、まだまだ遠い未来のような気がする。

 結局は、昔からあるものの代用品でしかないし、便利になった道具レベルでしかない。なくてもいいもの。基本的な人間の生き方(生活ではなく)は変わっていない。どこでもドアには遠く及ばない。

 さて、人間が発明?した中での大発明は、何だろうか?よく言われている、「火」「電気」が今の所一番しっくりくるような気がする。あとは、人にもよるだろうが「神」がある。画期的で代用が効かず、人の生活になくてはならない。まぁ、「火」があれば「電気」はいらない気もするけど。「火」も元々自然のものだし、それを道具として使ったことが発明といえば発明。「神」もまぁ、その前に「言葉」を発明した?ということも考えられるけど、必要に迫られて使われ出したものだし、それによって壁も作っているわけだし。ねっ。どうなんだろう?

 インターネットは、この先20年、どう変わってゆくのか?いや、やっぱり、今、つまりは20年前と変わらずに、その20年前の記事を引っ張り出して、同じ問題を、同じように繰り返しているのだろうか。

 そうではないことを願って、明日の朝を迎えることにしよう。