臍からキノコが生えた日には

例えば人間、川に落ちればカエルの子。

『目黒のたこ』

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目黒に蛸が由来のお寺があるので、行ってみた。

 

蛸薬師は全国にかなりあるらしく、

京都の浄瑠璃山林秀院永福寺、東京目黒の成就院が

有名どころで、他に

愛媛県に六つ、千葉県・神奈川県・福井県・兵庫県・大阪府・

岩手県・埼玉県・栃木県・静岡県にあり、

山形県酒田市のはその跡に記念碑が建っているというこだ。

(参考文献:ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版)

 

他に、高尾山の高尾山薬王院には、参道の「蛸杉」というものが

あるらしいのだが、一日がかりになりそうなので、

また日を改めて行くことにした。

 

目黒の街には正直あまり縁が無く、

「並河靖之七宝」展示の際に東京都庭園美術館へ行ったのと

目黒シネマに行った位しか覚えていない。

「並河靖之七宝」は私的にはかなり良い展示だった。

細やかに施された細工はいうものがなだが、

下絵の素晴らしさにとても感銘を受けた。

そして、現代の日本ではこれ程の芸術品(コレクター嗜好品ではあるが)

を再現することは難しいことであり、伝承も途切れていることから

良いものが無くなっていく寂しさがあった。

どうにか復活できないであろうか。

 

目黒駅を降りて「たこ薬師 成就院」へ向かう。

GoogleMapを見ながら向かったのだが、

結構な距離を歩いた。

まず、場所的に目黒川を挟んで向こう側にあるので、

名物ではないが名物的な坂を下っていく。

この坂は「権之助坂」という名称で、

由来はこうである。

 

権之助坂の由来

江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいという村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり引かれて行く。「権之助、なにか思い残すことはないか」と問われて、「自分の住んだ家が、ひと目見たい」と答える。

馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。父祖の家を離れる悲しみと、村人の明日からの窮状が権之助の心を去来したかも知れないが、それは表情には現わさなかった。

村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。

また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。

昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていた。この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、権之助が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいた。

 (出典:目黒区公式ホームページ)

 

日本の女性アイドルグループで、

乃木坂46や欅坂46など東京都に実在する坂道名を冠したグループがいるが、

権之助坂46はどうだろうか? 数ある名主の中からオーデョションを

勝ち抜いてきた名主の集団である。

さぞや村人に人気があるだろう。

 

GOZ46 1stシングル「いまが年貢のおさめDOKIっ!」発売である。

 

というくだらないことを考えながらだらだらと坂を下った。

 

坂にはアーケード商店街があり、名前もそのまま

「権之助坂商店街」飲食店が主に軒を連ねているが、

途中にあった古書店に妙に興味をそそられた。

が、今回の目的から道を外れてしまうので、泣く泣く坂を下る。

 

坂を下りきってから、しばらく歩くと目的地が見えてきた。

正直にいうと、坂を下りてからが迷い道であり、

ここはどこだろうと思いながら、Mapをみては立ち止まり

立ち止まってはMapをみて、ようやくたどり着いた。

当日は、雨が降ったり止んだりと不安定で、

そしてとても蒸し暑く頭が朦朧としながら歩いていたせいもある。

 

そしてなんだかんだとマーク地点に到着したが、

この日は門前に登りが立っておらず、危うく通り過ぎるところだった。

 

 

そして、蛸の登場であります。

 

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まずは礼にならってお参りをする。

手水場(ちょうずば)の脇にはカエルがいた。

そういえば蛸のも蛙も虫偏である。

これはまた考えてみる価値がある。

 

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ナムナム。

「お願いごと」は多数あるようで、

  • 家内安全
  • 当病平癒
  • 無病息災
  • 身体健全
  • 心願成就
  • 商売繁盛
  • 立身出世
  • 除災難
  • 徐諸厄
  • 良縁成就
  • 子宝成就
  • 安産成就
  • 学業成就
  • 交通安全 が見受けられた。

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お札やお守りも多数取り揃えており、

中でも蛸の絵馬が目をひく。

 

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蛸薬師の由来

慈覚大師が眼病平癒にために四〇歳の時、自ら薬師如来を刻み、入唐(八三八年)に際しても肌身放さず持っていた。唐で修学後、帰朝の折に暴風雨に遭ったが、この像を投じて祈り、無事筑紫の港に帰ることができたという。

その後、諸国巡礼に際して備前松浦に行った時に、海上が光り、以前海に投じた薬師様が蛸に乗って現れたという。

その後大師が目黒に来られてから疫病が流行した時に、松浦で拝んだ尊影を模して刻み、その小像を胎内仏としたのが

現在の薬師如来であるといわれている。

(出典:ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版)

(参考:たこ薬師成就院オフィシャルサイト http://www.jyoujyuin.jp/yurai.html)

  

上記のように「お願いごと」は多数あり、

蛸薬師の由来もいろいろある。

 

一つに、蛸薬師は眼病を治すといわれている。

蛸は危険を感じると黒い墨を吹きつけるが、墨で黒くなった海中でも見えるのは

眼がすぐれているからだということからきている。

 

一つに、蛸には吸盤があることから、吹出物や疣(イボ)を取り除くといわれている。

蛸を描いた絵馬を奉納し、蛸を食べてはならず、この本尊に祈願し、

一日二〇遍、薬師の真言を唱えること。

しかし、蛸を食べると再び疣が再生してくるという。

幕末のころ、山田忠三郎というものが目黒の蛸薬師に祈願し疣が治ったが、

半年後に再び蛸を食べたらまた疣が体中に出てびっくり、

再び蛸を断ったら、すっかり治ったという話もあるということである。

 

そして、一つに、福をすいよせていただける大変ありがたい薬師でもある。

 

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絵馬を奉納されていた方も沢山いらっしゃった。

 

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今回度々、出典文献に使わさせていただいている、

「ものと人間の文化史74 蛸 刀禰勇太郎 法政大学出版」には

蛸薬師の他、本命の蛸のことについて、民俗学や食、歴史など

本当に幅広く載っていて、参考書としても読み物としても大変に面白い本である。

 

お参りを終え、一通り挨拶を終え出ようと、

門に行くと、門の前にある岩にとても興味を惹かれた。

岩のことは、よくわからないが赤くて丸くいかにも蛸である。

いわれや言い伝えは特にないようだが、絶対に蛸関係であろう。

 

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撫でると良いことがあるのかもしれない。タッコングに似ている。

 

 

そして並んで、赤い郵便ポストである。

多分、意味はない。

 

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蛸は不思議な生き物として魅力的であり、

そしてとても美味しいのである。

特に吸盤のあたりの歯触りがコリコリとしていてなんともいえず。

蛸自体の旨味もあって、わさび醤油とあえて

いただけば、お酒が止まらない。

たこ焼きも美味しい。

かの三代目古今亭志ん朝は四〇年程の間、願掛けの為

大好物の鰻を断ち、癌でなくなる前に食べたいものを

聞かれたときも「鰻が食べたい」と語ったということであるが、

当分、いや、死ぬまで蛸断ちは無理である。

 

 

【東京都目黒区 たこ薬師成就院】
 東京都目黒区下目黒3-11-11
 TEL:03-3712-8942

http://www.jyoujyuin.jp