臍からキノコが生えた日には

例えば人間、川に落ちればカエルの子。

『ゲームのような人工知能アート』

2018年6月14日(木)曇りがち

 

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世界は進んでいくもの

一方、昔ながらの止まった

感覚は、過去を知っているものは

懐かしい感覚を得られ、

過去を知らないものは、

新しい感覚を得られうる

 

コンピューターテクノロジーの進化と

筆書きによる作画

 

起因する記事

気鋭の作家イアン・チェンのアートは、
人工知能によって「変化」し続ける

■ 出所である書物:wirerd web記事■

https://wired.jp/2018/06/09/ai-art-ian-cheng/

 

 

もし、ダヴィンチや北斎が現代の芸術・絵画を見た場合に

どう思うか?

新しいものを取り込もうと意欲的な場合、

現代の新しい技法・テクノロジーで作られたものに

興味を示すことだろう。

 

それは、北斎の様な特異な人でなくても、

現代人でも新しいテクノロジーには、

驚かされるであろうし、

興味も湧く。

 

作品を褒めるという点ではどうだろう

当時の技法を伝承し、表現した芸術か

新しいテクノロジーによって描かれた芸術か

どちらを褒めるのか

 

本人に伺わなければ、答えはわからないが、

それぞれには良さがあるということだ

 

表現方法の違い

意外な組み合わせ

 

前に進まなければ、腐敗する

早すぎる進化は、終わりを予兆させる

 

幾ばくの時が過ぎようが、

良いものなのか悪いものなのか

そのものに触れたときの人の感覚は変わらない

 

そのものにどの位の感情が込められるか

人はそれを読み取っている

読み取ることができる

 

(※以上、記事未読状態で思考した記述)

 

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(※以下、記事既読読状態での記述)

 

引用:

チェンはこう説明する。「最初は大変でした。わたしの知っているアーティストは全員、作品を完成させてからギャラリーに展示しますし、作品に関するすべてをコントロールしたがるタイプです。彼らの作品は、それまでに費やされたエネルギーの証拠のようなもので、創造活動の名残りの破片なんです。けれども、あらゆるものが変化している世界では、われわれの文化も常に変化する作品を反映すべきです。だからわたしは、生きていると感じられるもの、そして予想外の動きをするかもしれないものをつくりたいと思ったのです」 

 

出所である書物:wirerd web記事

https://wired.jp/2018/06/09/ai-art-ian-cheng/

 

なるほど、ここの部分では前述の自分の考えとの

相違が見られる

言葉、文学、絵画、彫像などと動画、インスタレーションなどの

感覚としての(鑑賞する側の)捉え方、受け取り方の違いなのか

静的な作品から様々に感じ想起して想いを馳せるのか

(妄想とも似ている 脳が激しく情報を処理している様な)

変化する作品から感じ取りその場で精神を広げるのか

(目の前の事実だけを受け入れている 脳が仮眠状態の様な クラブで音に任せて踊っている様な)

後者・チェンの作品は、

公園や動物園や水族館で過ごすこと、

自然の中で過ごすことに似ている

 

 

MoMA

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3656

 

にて、作品「Emissaries」を見ることができる

このことは、

やはり、2018年現在の日本のアートシーンより

何歩も先をいっていると思えた

いや比べるべきものではなく

別物なのかもしれない

 

そもそも土俵が違うのか

日本のアートは他国のものに比べ

独自性が感じられることが少なく、

似たもので相手の土俵で相撲をとろうとしているのか

またはそういう時期なのだろうか